日本を代表する仏教の聖地、高野山と比叡山。
どちらも歴史深く、荘厳な雰囲気に包まれていますが、「高野山と比叡山はどっちが古いのだろう?」と疑問に思ったことはありませんか。
この記事では、比叡山延暦寺を開いた最澄と高野山を築いた空海の歴史を紐解きながら、二つの山の始まりとそれぞれの宗派の違いを分かりやすく解説します。
二人のライバル関係と後の和解、それぞれの場所や地図、さらには禅宗の永平寺との違いにも触れていきますので、二大聖地への理解が深まるはずですよ。
- 比叡山と高野山の歴史の始まりがわかる
- 最澄と空海、それぞれの宗派の違いがわかる
- 二つの聖地の場所や観光ポイントがわかる
- 永平寺を含めた三大霊場の特徴がわかる
高野山と比叡山はどっちが古い?歴史で比較

- 比叡山はいつから始まりましたか?
- 比叡山延暦寺を開いた最澄
- 高野山の歴史は何年ですか?
- 比叡山延暦寺の開祖のライバルは誰?
- 二人が開いた宗派の違い
比叡山はいつから始まりましたか?
結論から申し上げますと、高野山よりも比叡山の歴史の方が約28年早く始まりました。
比叡山の歴史が公式に始まったのは、今から1200年以上も前の788年(延暦7年)のことです。
当時まだ19歳という若さだった最澄(さいちょう)が、薬師如来をご本尊として祀るための小さな草庵(そうあん)を比叡山に結んだのが、壮大な歴史の幕開けでした。
この草庵は「一乗止観院(いちじょうしかんいん)」と名付けられ、これが後の延暦寺の根本的な礎となります。
最澄がこの地を選んだのは、都に近く影響を与えやすい一方で、俗世の喧騒からは適度に離れ、修行に打ち込める理想的な環境だったからと言われています。
当時の仏教界の中心であった奈良の旧仏教勢力とは一線を画し、新しい仏教を打ち立てようとしていた桓武天皇の強い支援も受け、この比叡山は次第に日本仏教の中心地としての地位を確立していくのです。
比叡山延暦寺を開いた最澄
比叡山延暦寺を開いた最澄(767-822年)は、日本仏教史における革新者であり、「伝教大師(でんぎょうだいし)」という諡号(しごう)で広く知られています。
最澄は近江国(現在の滋賀県)に生まれ、若くして学問と修行に励みました。
しかし、当時の奈良仏教界の政治との癒着や形式化に強い疑問を抱き、国家公認の僧侶としての将来を捨てて、一人比叡山に籠る道を選びます。
その純粋で真摯な修行への姿勢が、新しい時代の精神的支柱を求めていた桓武天皇の目に留まりました。
804年、最澄は遣唐使の一員として唐(当時の中国)へ渡る機会を得ます。
彼は国費留学生という、いわば国家からの期待を一身に背負ったエリートとして唐に渡り、天台教学の真髄を学びました。
帰国後、最澄は日本で天台宗を開き、比叡山延暦寺をその総本山としました。
彼の教えの核心は、法華経の精神に基づく「誰もが仏になる可能性を持っている(一切衆生悉有仏性)」という考えです。
この包括的で開かれた教えの場であった比叡山からは、後に浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、曹洞宗の道元、臨済宗の栄西、日蓮宗の日蓮など、鎌倉新仏教を創始した多くの名僧たちが巣立っていきました。
このことから、比叡山は「日本仏教の母山」と尊称されています。
最澄の有名な言葉に「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」があります。これは「それぞれの持ち場でひたむきに努力する人こそが、国の宝である」という意味で、彼の教えの根本にある精神を表しています。
高野山の歴史は何年ですか?

高野山の歴史は、弘法大師・空海によって816年(弘仁7年)に開創されました。比叡山の始まりである788年から数えると、約28年後のことです。
嵯峨天皇からこの地を賜った空海が、真言密教の根本道場として伽藍(がらん)の建立に着手したのがその起源です。
つまり、2025年現在から遡ると、1200年以上の非常に長く、絶えることのない歴史を紡いできたことになります。
空海が高野山を選んだ理由には、「三鈷杵(さんこしょ)」にまつわる有名な伝説があります。
唐からの帰国の際に、空海は密教を広めるにふさわしい場所を示したまえと祈り、法具である三鈷杵を日本に向けて投げました。
帰国後、その三鈷杵を探し求めると、高野山の松の木にかかっていたと言われています。この伝説は、高野山が密教の聖地として運命づけられた場所であることを象徴しています。
高野山は、山全体が巨大な寺院(一山境内地)と見なされており、現在では117もの寺院が点在しています。
2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として、ユネスコの世界文化遺産に登録され、その歴史的・文化的な価値は国際的にも認められています。
比叡山延暦寺の開祖のライバルは誰?
比叡山延暦寺の開祖である最澄の生涯における最大のライバルとされたのが、高野山を開いた空海(774-835年)です。空海は「弘法大師(こうぼうだいし)」の名で、日本人なら誰もが知る偉大な存在です。
同じ遣唐使船団で唐に渡った二人ですが、その立場は対照的でした。最澄が国からの全面的なバックアップを受けたエリートであったのに対し、空海は当時まだ無名の私費留学生で、その渡航費用も自ら工面しなければなりませんでした。
しかし、空海は持ち前の語学力と非凡な才能で、唐の密教の第一人者である青龍寺の恵果(けいか)和尚に見出され、後継者として密教のすべてを授けられて帰国します。
帰国後、空海がもたらした最新の密教は、その神秘性や現世利益的な側面も相まって、朝廷や貴族たちの心を瞬く間にとらえ、絶大な人気を博しました。
この状況に、日本の仏教界をリードすべく天台宗の確立を急いでいた最澄は、強い焦りと危機感を感じ始めます。
ここから、秀才エリートの最澄と、天才カリスマの空海という、日本仏教史上最も有名な二人の偉人の、尊敬と嫉妬が入り混じった複雑な関係が始まっていくのです。
二人が開いた宗派の違い
最澄が開いた天台宗と、空海が開いた真言宗は、どちらも平安時代に確立された新しい仏教(平安二宗)であり、密教の要素を取り入れている点で共通していますが、その教えの核心部分には明確な違いがあります。
二つの宗派の主な違いを以下の表に詳しくまとめました。
| 項目 | 天台宗(最澄) | 真言宗(空海) |
|---|---|---|
| 総本山 | 比叡山 延暦寺 | 高野山 金剛峯寺 |
| 教えの核心 | 法華一乗(法華経が最高の教えであり、あらゆる教えは法華経に帰一する) | 即身成仏(厳しい修行を通じて、この身このままで究極の悟りを開き仏になる) |
| 密教の位置づけ | 法華経の教えを補完する要素の一つ(台密・顕密一致) | 教えそのものの核心であり最高の教え(東密・密教が至上) |
| 本尊に対する考え方 | 大日如来と釈迦如来は本質的に同一であると見なす | 宇宙の真理そのものである大日如来を最高の仏とする |
| 特徴 | 様々な教えを包括する総合仏教。後に多くの宗派の祖を輩出した「日本仏教の母山」。 | 三密(身・口・意)の修行を重視する純粋な密教。加持祈祷など神秘的な側面を持つ。 |
平易な言葉で表現するならば、天台宗は「あらゆる学問を修めることができる仏教の総合大学」のような存在です。様々な教えを学び、それらを統合することで悟りを目指します。一方で、真言宗は「密教という専門分野を極めるための大学院」に例えられます。特定の専門的な修行(三密行)を徹底的に実践することで、究極の境地である即身成仏を目指すという点に大きな違いがあるのです。
高野山と比叡山はどっちが古い?特徴と関係

- 二人のライバル関係と和解
- それぞれの場所と地図を確認
- 比叡山延暦寺と高野山金剛峯寺の覚え方
- 永平寺との違いについても解説
- おすすめのツアーや観光情報
- まとめ:高野山と比叡山はどっちが古いか
二人のライバル関係と和解
最澄と空海は、帰国後しばらくは互いの知識を交換し合うなど、良好な協力関係にありました。
特に密教の分野で遅れを取っていた最澄は、7歳年下の空海に対して非常に謙虚な姿勢で教えを請い、経典を借り受けるなどしていました。
しかし、ある出来事をきっかけに二人の関係は決定的に決裂してしまいます。
それは、最澄が密教の奥義が記された『理趣釈経(りしゅしゃくきょう)』という経典の貸し出しを空海に求めた際、空海が「密教の真髄は、師から弟子へと直接伝えられるべきものであり、書物を読むだけで理解できるものではない」として、これをきっぱりと断ったことでした。
論理と経典を重んじる最澄にとって、この返答は到底受け入れられるものではありませんでした。
さらに、最澄が自身の最も信頼する高弟であった泰範(たいはん)を空海のもとへ修行に出したところ、泰範が空海のカリスマ性と密教の魅力に心酔し、比叡山には戻らないという手紙を最澄に送るという事件が起こります。
この弟子からの絶縁状とも言える手紙は、最澄のプライドを深く傷つけ、二人の間の溝を決定的なものにしました。
このように、二人は互いの才能を認め合いながらも、その思想の違いと人間的なすれ違いから、生前に和解することはありませんでした。
しかし、1200年という長い時が流れた2015年、高野山開創1200年を記念する大法会に、天台宗の最高位である天台座主が公式に訪れ、比叡山延暦寺として史上初めて高野山で慶讃の法要を営みました。
これは、二人の偉大な開祖が遺した宗派が、世紀を超えて互いを認め合い、尊重する関係を築いたことを示す、歴史的な「和解」として大きな感動を呼びました。
最澄は論理的で実直な秀才、空海は芸術的でカリスマ性のある天才と対比されることが多いです。
この性格や思想の根本的な違いが、二人のすれ違いの一因だったのかもしれません。
それぞれの場所と地図を確認
二つの聖地は、その立地環境も対照的で、それぞれが異なる魅力を持っています。
比叡山延暦寺

比叡山は滋賀県大津市と京都府京都市にまたがる、標高848メートルの山です。
古くから都の鬼門(北東)を守る鎮護の山とされてきました。京都市内からもその美しい山容を望むことができ、比叡山ドライブウェイや坂本ケーブルなどを利用して、比較的容易に山頂付近までアクセスできるのが大きな特徴です。
東には日本最大の湖である雄大な琵琶湖を、西には千年の都・京都の町並みを一望できる絶景のロケーションは、訪れる人々を魅了します。
高野山金剛峯寺

一方、高野山は和歌山県北部の伊都郡高野町にある、標高約800メートルの山々に囲まれた盆地状の宗教都市です。
日常の喧騒から完全に隔絶された山奥に位置し、そのため静寂で神秘的な霊気に満ちています。
アクセスするには、南海電鉄とケーブルカーを乗り継ぐ必要があり、その山道を登っていく過程自体が、俗世から聖地へと向かう非日常的な体験となります。
夏は避暑地として涼しく、冬は厳しい寒さと雪景色が広がる、自然豊かな環境です。
特に高野山を訪れる際は、山間部特有の気候変動に備えた服装の準備が非常に重要です。
平地との気温差が大きいため、夏でも羽織るものがあると安心ですし、冬場は防寒着や滑りにくい靴が必須となります。
訪れる時期の気候を事前にしっかりと確認することをおすすめします。
比叡山延暦寺と高野山金剛峯寺の覚え方
二つの山と開祖、そして宗派の関係は、歴史を学び始めたばかりの方には混同しやすいかもしれません。
以下のような、覚えやすく忘れにくいシンプルなキーワードで整理するのがおすすめです。
名前で覚えるシンプルな方法
- 比叡山 → 最澄(さいちょう) → 天台宗(名前の「い」の音で比叡山を連想)
- 高野山 → 空海(くうかい) → 真言宗(名前の「う」の音で高野山を連想)
また、それぞれの山の持つ雰囲気や歴史的な役割からイメージを膨らませて覚える方法も効果的ですよ。
- 比叡山:法然、親鸞、道元など多くの宗派の祖を育てたことから「日本仏教の母山」と呼ばれる。学問と修行を重んじる、厳格でアカデミックなイメージ。
- 高野山:空海が今も奥之院で瞑想を続けていると信じられている「天空の聖地」。神秘的で、儀式や芸術性に富んだ霊的なイメージ。
これらのキーワードやイメージをセットで関連付けることで、それぞれの特徴をより深く、そして混同することなく理解することができるでしょう。
永平寺との違いについても解説
比叡山、高野山と並び称され、日本仏教の三大霊場として挙げられることが多いのが、福井県にある永平寺です。

永平寺は、比叡山や高野山よりも後の時代、1244年(寛元2年)に道元禅師(どうげんぜんじ)によって開かれた曹洞宗の大本山です。
曹洞宗は、鎌倉時代に栄西が開いた臨済宗と並ぶ、日本を代表する「禅宗」の一つです。ちなみに、開祖である道元も若い頃に比叡山で学んだ経験を持っています。
天台宗や真言宗が、密教の神秘的な儀式や経典の教え、論理的な学問を重視するのに対し、禅宗である曹洞宗の教えは非常にシンプルです。
その核心は「只管打坐(しかんたざ)」、つまり、ただひたすらに坐禅を組むことにあります。
坐禅という実践を通して、自分自身と向き合い、悟りを開くことを目指します。
そのため永平寺は、観光寺院という側面を持ちながらも、現在も「雲水」と呼ばれる多くの修行僧が食事、掃除、作務といった日常生活のすべてを修行と捉え、厳しい禅の生活を送る、荘厳で静謐な「禅の根本道場」として知られています。
おすすめのツアーや観光情報
どちらの聖地も、単なる観光地ではなく、生きた信仰の場です。その歴史と文化を深く体験できる見どころが満載です。
比叡山延暦寺の観光ポイント
広大な比叡山の境内は、大きく「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」の3つのエリアに分かれており、それぞれに本堂があります。
初めて訪れる方は、まず中心となる東塔エリアを巡るのがおすすめです。
ここには延暦寺全体の総本堂である国宝「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」があり、その内部では、最澄が灯して以来1200年以上一度も消えたことがないとされる「不滅の法灯」が、幻想的な光を放ち続けています。
また、比叡山ドライブウェイやロープウェイからの琵琶湖や京都の町並みの眺望は、まさに絶景です。
高野山の観光ポイント
高野山には見どころが数多くありますが、絶対に外せない二大聖地が「奥之院(おくのいん)」と「壇上伽藍(だんじょうがらん)」です。
特に奥之院は、弘法大師空海が入定(にゅうじょう)し、今も人々を救うために瞑想を続けているとされる御廟(ごびょう)がある、最も神聖な場所です。
一の橋から御廟まで約2キロにわたる参道には、樹齢数百年の杉木立が続き、織田信長や豊臣家など歴史上の人物の墓石が20万基以上も立ち並び、他にはない荘厳な雰囲気に包まれています。
また、高野山ならではの特別な体験として、山内に50以上あるお寺に宿泊する「宿坊体験」が大変人気です。
歴史ある寺院で本格的な精進料理を味わったり、早朝のお勤め(朝課)や写経、阿字観(あじかん)瞑想などに参加したりと、心静かに自分と向き合う貴重な時間を過ごすことができます。(参照:高野山真言宗 総本山金剛峯寺 公式サイト)
まとめ:高野山と比叡山はどっちが古いか
最後に、この記事で解説してきた内容の要点を一覧でまとめます。
- 結論として比叡山の方が高野山より約28年古くから始まった
- 比叡山の歴史は788年に最澄が一乗止観院を建てたことから始まる
- 高野山の歴史は816年に空海が真言密教の道場として開いた
- 比叡山を開いたのは天台宗の開祖である最澄(伝教大師)
- 高野山を開いたのは真言宗の開祖である空海(弘法大師)
- 最澄は論理的で秀才タイプ、空海はカリスマ性のある天才タイプと評される
- 二人は当初協力関係にあったが経典の貸借や弟子の問題で関係が決裂した
- 1200年の時を経て現代では両宗派は和解し互いを尊重している
- 天台宗は法華経を最高とし誰もが仏になれると説く総合的な仏教
- 真言宗はこの身のまま仏になる即身成仏を目指す専門的な密教
- 比叡山は滋賀と京都にまたがる都に近い場所にありアクセスしやすい
- 高野山は和歌山の山奥にある隔絶された場所にあり神秘的な雰囲気が魅力
- 覚え方として「最澄の『い』で比叡山」「空海の『う』で高野山」が便利
- 永平寺は鎌倉時代に道元が開いた曹洞宗の大本山で坐禅を重視する
- 比叡山の見どころは国宝・根本中堂と1200年以上続く不滅の法灯
- 高野山では聖地・奥之院の参拝や貴重な宿坊体験が人気

