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みなさんは桑名市にある「多度大社」について、インターネットで検索したことはありますか。
実はこの神社、「多度大社 不思議」という言葉と一緒に調べられていることが多いんです。
神様が白馬に乗ってやってくるという美しい伝説や、願いを叶えるために片目を差し出した龍神様の怖い話、そして少し背筋が伸びるようなスピリチュアルな体験談など、ここには数え切れないほどの神秘的なエピソードが隠されています。
さらに、有名な上げ馬神事に関する噂や、境内で感じられる不思議なパワーの正体も気になりますよね。
今回は、大社が持つ奥深い魅力をたっぷりとご紹介します。
- 幸せを運ぶ「白馬伝説」と現代に伝わる「うまくいく」信仰の秘密
- なぜ「扉がない」のか?一目連神社に祀られる片目の神様の真実
- 上げ馬神事の壁撤去や動物愛護にまつわる「怖い」噂の背景
- 参拝後に起こるとされる不思議な現象やスピリチュアルなご利益
多度大社の不思議な伝説と神話の真実

多度大社に足を踏み入れると、どこか凛とした空気に包まれます。
伊勢神宮との関係も深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ」と歌われるほどの格式を持つこの場所ですが、境内の至る所に「なぜ?」と感じる不思議なポイントが点在しています。
ここでは、古くから語り継がれる伝説や、少し変わった神社の造りそのものが「不思議」として注目されています。
まずは、この場所に伝わる神話の深層に迫ってみましょう。
幸せを運ぶ白馬伝説の由来とは
多度大社を訪れると、まず驚かされるのが「生きている神馬(しんめ)」がいることです。多くの神社では馬の像が置かれていますが、ここでは本物の白馬が私たちを出迎えてくれます。
これは1500年も前から続く「白馬伝説」に基づいているんです。
この伝説は、単なる昔話ではありません。多度山は古来より「神様が住む山(神体山)」として崇められてきました。伝説によると、神様はこの山から白馬に乗って地上へと降臨し、人々の願いを聞き届けるとされています。
かつて、人々はこの白馬に対して、農作物の豊作や、日照りの際の雨乞い、長雨の際の止雨(しう)といった、自然への切実な祈りを託してきました。
白馬は、人間の願いを背に乗せて神域である山へと駆け上がり、神様からの「答え」や「幸福」を乗せて再び里へ降りてくる、いわば神と人をつなぐメッセンジャー(媒介者)の役割を果たしていたのです。
伝承の中には、「天翔る馬には翼を与えたように、その姿を変えて神の懐へと走り去る」という美しい描写もあります。これはペガサスのような物理的な翼ではなく、霊的な次元を一瞬で移動する神速さを表したメタファーだと考えられています。
「うまくいく」お守りの秘密と錦山号
現在、多度大社の神馬舎では「錦山(きんざん)号」という名前の白馬が参拝者を迎えてくれます。
北海道生まれの彼は、とても優しい目をしていて、見ているだけで心が洗われるようです。
また、現代では「馬は人が乗るとうまくいき、馬が人を乗せると福が舞い込む」という言い伝えや、「馬九行(うまくいく)」という9頭の馬を描いた語呂合わせから、万事が順調に進むことの象徴となっています。
受験、就職、結婚など、人生の節目に「うまくいきますように」と願う人々にとって、生きた白馬の存在は最強のパワースポットなのです。
一目連神社に伝わる片目の神の謎

本宮のすぐ隣にある別宮「一目連(いちもくれん)神社」。ここには「天目一箇命(あめのまひとつのみこと)」という神様が祀られていますが、名前の通り「片目(一目)」であると伝えられています。
「神様が片目?」と不思議に思うかもしれませんが、これには大きく分けて二つの説があり、それぞれが多度大社の歴史的背景を物語っています。
| 説の名称 | 具体的な内容と背景 |
|---|---|
| 製鉄の神様説 | 祭神である天目一箇命は、日本神話における製鉄・鍛冶の祖神です。古代の鍛冶師(たたら製鉄従事者)は、燃え盛る炉の炎の色を見て鉄の温度を見極める際、片目をつぶって注視する習慣がありました。また、過酷な労働環境によって片目の視力を失う職人も多かったと言われています。このことから、鍛冶の神様は「片目」の姿として表現されるようになったという、職業的な特徴に由来する説です。多度周辺は古代、鉱物資源に恵まれ、刀工や鋳物師が活躍した地域でもありました。 |
| 龍神様説 | もう一つは、民俗学的な視点からの説です。一目連の神は、強大な自然の力(暴風雨や水)を操る龍神としても信仰されています。日本の民話において、強大な霊力や自然支配力を持つ神や大蛇は、その力の代償として片目を失っている、あるいは自ら片目を捧げたという話が多く存在します。自然の猛威そのものを神格化した姿が、「片目の龍」として語り継がれているのです。 |
この二つの説は矛盾しているようで、実は「火(製鉄)」と「水・風(龍神)」という、相反する強力なエネルギーを一つの神様が持っていることを示しています。
そのため、一目連神社のパワーは「恐ろしいほど強い」とされ、心の迷いを断ち切りたい時や、ここ一番の勝負所で背中を押してほしい時に、絶大な効果を発揮すると信じられています。
「心の目を開く」とも言われ、眼病平癒のご利益があるとして、「め」の字を書いた絵馬を奉納する風習も残っています。
実際に現地に立つと、本宮の厳かな雰囲気とは少し違う、荒々しくも力強い気配を感じる人が多いようです。
片目の神様が見据える先には、私たちの心の奥底にある真実が映し出されているのかもしれません。
社殿に扉がない不思議な理由

一目連神社を参拝してふと気づくのが、「社殿に扉がない」という不思議な光景です。
通常、神様のいらっしゃる本殿(神殿)といえば、分厚く堅牢な「御扉(みとびら)」によって外界と遮断され、神様のプライベートな空間として厳重に守られているのが一般的です。
しかし、一目連神社の本殿は吹き放ちの状態になっており、御簾(みす)が掛けられているだけで、風が吹けば中が見えそうなほど開放的な造りになっています。
「神様が寒くないのかな?」なんて心配してしまいそうですが、これには非常に頼もしい、そして少し畏れ多い理由が存在します。
社伝や古老の言い伝えによると、「天目一箇命(一目連の神)は、天変地異や水害、あるいは氏子の危機に際して、扉を開ける手間さえ惜しんで飛び出し、救済に向かう緊急即応の神であるため、あえて扉を設けていない」とされているのです。
常在戦場の神様
つまり、一目連神社の神様は、常に私たちを助けるためにスタンバイしてくれている「レスキュー隊」のような存在な
んです。また、別の伝承では、この神様が龍神となって天に昇り、嵐を鎮めるために自由に出入りできるよう配慮されているとも語られます。
この「いつでも出動OK!」というスタンスは、私たち参拝者にとって「願いがすぐに届く」「ご利益の反応が速い」という信仰的な安心感につながっています。
悩み事があってすぐに解決したい時、一目連神社にお参りすると事態が急展開した、という体験談が多いのも、この「扉がない」という構造が示す即応性と無関係ではないでしょう。
ただし、それだけ神様との距離が近いということでもありますから、嘘偽りのない誠実な心で手を合わせることが大切ですね。
古代信仰が残る磐座と神の石
多度大社の歴史は、社殿が建立されたとされる雄略天皇の御代(5世紀後半)よりもはるか昔にさかのぼります。
実は、社殿ができる以前、多度山そのものが信仰の対象であり、人々は山中にある巨石や奇岩を「神の依代(よりしろ)」として祀っていました。
これを「磐座(いわくら)信仰」と呼びます。現在でも境内や周辺の山中には、太古の祈りの形跡である「五箇神石(ごかしんせき)」などが残されており、知る人ぞ知るパワースポットとなっています。
特に有名なのが、以下の石たちです。
- 影向石(かげむくいし):神様が天から降臨し、その姿を現す(影向する)とされる神聖な石です。神の座る場所として、最も純粋なエネルギーを放っていると言われています。
- 籠石(こもりいし):本宮拝殿の横、崖から突き出るように存在する岩塊です。
江戸時代の明和7年(1770年)、崖の上から転落してきた巨石が、わずかな樫の木一本に支えられて奇跡的に止まったという伝承を持っています。
物理的には落ちて当然の状況で静止したことから、「神の意志によって留め置かれた石」として畏敬の対象となりました。
現在では、「落ちない」「その場に留まる」というご利益の象徴として、受験生や地位を守りたい人々から信仰を集めています。 - 御供石(おそなえいし):社殿が整備される以前、人々がこの自然石の上で神様への供物(神饌)を捧げて祭祀を行っていたとされる石です。
これらの石は、豪華な社殿とは対照的に、苔むした素朴な姿でひっそりと存在しています。
しかし、その前で静かに手を合わせると、人工的な建物がない時代に、人々が自然の中に神を見出し、畏れ敬っていた純粋な気持ちとシンクロするような感覚を覚えます。
社殿にお参りするだけでなく、こうした自然の石(磐座)にも注目して巡ることで、多度大社の持つ「場所の不思議」をより深く体感できるはずです。
龍神が姿を現す視覚的な怪異
多度大社は「水」と深く関わりのある場所です。
境内を流れる落葉川の清流や、禊(みそぎ)の場としても知られる「多度の滝(みそぎ滝)」周辺では、不思議な視覚体験をしたという口コミやブログ記事が後を絶ちません。
その多くは、「龍」に関連するものです。
よく耳にするのが、「滝の写真を撮ったら白い光の筋が写った」「川の流れが一瞬、白い龍のように見えた」というお話です。
一目連神社が龍神様を祀っていることや、近くにある美御前社(うつくしごぜんしゃ)が水神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀っていることから、水辺には龍神様のエネルギーが満ちていると考えられています。
こうした写真に写り込む光の筋(龍神雲)や、オーブ(光の玉)は、一般的な心霊スポットで語られるような「怖い霊」ではありません。
多度大社においては、神様からの歓迎のサイン、いわゆる「瑞兆(ずいちょう)」として、非常にポジティブに捉えられています。
もし参拝中に不思議な光景や、写真に不思議な光が写り込んだなら、それは神様があなたの訪問を歓迎し、応援してくれている合図かもしれませんね。
多度大社の不思議な体験と怖い噂の正体

「多度大社」と検索すると、サジェストキーワードに「怖い」という言葉が出てきて、ドキッとしたことはありませんか?
また、全国ニュースにもなった有名な「上げ馬神事」の映像を見て、複雑な感情を抱いた方もいるかもしれません。
ここでは、現代の私たちが感じる「畏怖」や、実際に語られる不思議な「体験」の正体について、客観的な事実とスピリチュアルな視点の両面から迫ります。
上げ馬神事で吉凶を占う仕組み
多度大社の名を全国区にしているのが、毎年5月4日・5日に斎行される「多度祭(上げ馬神事)」です。テレビなどで、武者姿の若者が馬に乗って急な坂を駆け上がる、あの勇壮な映像を見たことがある方も多いでしょう。
この神事は単なるパフォーマンスや競馬のような競技ではなく、地域の農作物の豊凶や景気を占う、厳粛な「年占(としうら)」という宗教儀礼なんです。
その占いのシステムは非常に具体的です。かつては、馬が高さ約2メートルの土壁を乗り越えた「回数」で、「今年は豊作だ」「景気が良くなるぞ」と判断していました。
成功数が多ければ多いほど、その年は良い年になるとされたのです。
さらに、馬が壁を越えた「順番」によって、稲の品種ごとの作柄も占っていました。
- 最初の方に上がった場合:早稲(わせ)が豊作になる
- 中盤に上がった場合:中手(なかて)が豊作になる
- 終盤に上がった場合:晩稲(おくて)が豊作になる
このように、農家の人々はこの占いの結果を見て、その年の作付け計画を調整し、商人は景気の動向を予測してきました。
壁は単なる障害物ではなく、神意(神様の意志)を問うための「試練の門」として機能していたのです。
この神事は、三重県の無形民俗文化財にも指定されており、地域の人々の生活と信仰が密接に結びついた重要な行事として、680年以上もの間、守り継がれてきました。
「怖い」と検索される噂の真相
では、なぜ「多度大社 怖い」と検索されるのでしょうか。
そこには、心霊的な意味合いだけでなく、近年社会問題となった「上げ馬神事」を取り巻く環境の変化が大きく影響しています。
2023年の神事において、1頭の馬が骨折し、安楽死となる悲しい事故が発生しました。
この出来事がSNSを通じて瞬く間に拡散され、「動物虐待ではないか」「伝統の名を借りた残酷な行為だ」といった激しい批判が殺到しました。
神事関係者に対して脅迫めいたメッセージが届くなど、いわゆる「炎上」状態となり、社会的な制裁や批判の嵐が吹き荒れました。
この時、インターネット上で飛び交ったネガティブな言葉や、神事の存続を危ぶむ緊迫した空気が、「怖い」という検索意図の一部を形成していると考えられます。
こうした事態を受け、多度大社と氏子組織は大きな決断を下しました。
2024年の神事からは、数百年来の伝統であった「垂直に近い土壁」を撤去し、緩やかな勾配の「坂」へとコースを作り変えたのです。
(出典:三重県教育委員会『令和7年度にむけた多度大社上げ馬神事の取組について』)
これにより、馬への負担や危険性は大幅に減りましたが、「絶壁を乗り越える奇跡」としての視覚的インパクトや、占いの難易度設定も根本から変わることとなりました。
もう一つの「怖い」は、神様そのものの性質に対する「畏怖(いふ)」です。
一目連神社の神様は、前述の通り非常に力が強く、荒ぶる側面も持っています。「半端な気持ちでお願いをしてはいけない」「嘘を見抜かれる」といった厳しさが、「怖い」という感覚として伝わっているのかもしれません。
これは「お化けが出る」といったホラー的な恐怖ではなく、人間を超越した存在に対する敬意の裏返しと言えるでしょう。
境内で感じるスピリチュアルな波動

多度大社、特に奥宮へ向かう参道や神橋のあたりでは、霊感の有無にかかわらず「空気がピリピリしている」「急に涼しくなった」「重力を感じる」という特異な体感を持つ人が多いようです。
スピリチュアルな界隈では、これを「高波動」と呼びます。
多度山が発する強い地磁気や、豊富な水気(マイナスイオン)による物理的な影響もあるでしょうが、多くの参拝者が共通して感じるこの感覚は、やはりここが特別な聖域であることを物語っています。

起死回生を叶える強力なご利益
多度大社の「不思議」の中で最もポジティブで、多くの人々を惹きつけてやまないのが、その圧倒的な「起死回生」のご利益です。
「うまくいく」という言葉の通り、人生のどん底からV字回復した、倒産寸前の会社が持ち直した、絶望的な状況から逆転勝利を収めたといったエピソードが、特に経営者やスポーツ選手を中心に数多く語り継がれています。
これは、上げ馬神事で馬が壁(現在は坂)を一気に乗り越えるイメージとリンクしています。
「もうだめかもしれない」と諦めかけた時に、最後の一押しをしてくれる爆発的な推進力がここにはあると言われています。
現状を打破したい、大きな壁を乗り越えたい、新しいステージへ跳躍したいと願う人にとって、多度大社は最強のパワースポットと言えるでしょう。
優しい癒やしだけでなく、現状をひっくり返すほどの強いパワーを求めているなら、ぜひ一度訪れてみてください。
多度大社の不思議に触れる参拝のすゝめ

ここまで「多度大社 不思議」にまつわる数々のエピソードをご紹介してきましたが、いかがでしたか。
1500年続く白馬伝説の優しさ、一目連神社の荒々しくも頼もしい強さ、そして時代と共に形を変えながらも受け継がれる神事の魂。
これらすべてが複雑に絡み合って、多度大社という場所の奥深い魅力を形作っています。
単に「有名な観光地だから」といって通り過ぎるだけではもったいない場所です。
「なぜここに扉がないんだろう?」「この石にはどんな物語があるんだろう?」といった視点を持って参拝すると、風の音や川のせせらぎ、そして白馬の瞳が、また違って見えてくるはずです。
もしあなたが今、人生の壁にぶつかっていたり、何かを変えたいと強く願っていたりするなら、ぜひ多度大社を訪れてみてください。
きっと神様と白馬が、あなたの背中をそっと、あるいは力強く押して、「うまくいく」未来へと導いてくれるはずですよ。

